趣味としての評論

趣味で評論・批評のマネゴトをします。題材はそのときの興味しだいです。

グリッドマン感想 一番エモいのはアンチくんでしょ。

 

*本記事にはテレビアニメ「SSSS.GRIDMAN」のネタバレが含まれています。

 

 

はじめに

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 「SSSS.GRIDMAN」は2018年10月から12月にかけて放送されたテレビアニメ―ション作品です。全十二話で、監督は雨宮哲、制作はTRIGGER。1993年に放送された円谷プロの特撮ドラマ「電光超人グリッドマン」を原作としています。

 キャラがかわいい、作画もいい、ストーリーはどこか謎めいていて、それでいてロボット特撮ファンにはたまらぬリスペクトがある……と、さまざまな魅力から本作「SSSS.GRIDMAN」(以下、SSSS)は支持されています。Twitterで検索すれば無数に本作の感想・考察を見ることができますね。流行っている。

 私はアニメをだいたい、ストーリーに注目して観るので他の部分(たとえば、作画・音響の良さや、ちりばめられたパロディネタ)にはほとんど言及できません。なので本記事においては、SSSSの物語としての部分について、雑多に感想を書き散らします。

 

 

だいたいこんな話

 言うまでもないことですが、本作ラスト数秒の実写パートを除き、この物語は新条アカネくんの内的な世界・こころの中の物語です。「アカネが、こころの世界から脱して、自分の世界に生きるまで」が大筋であって、その内的世界への闖入者がアレクシス・ケリヴであり、グリッドマンと新世紀中学生たちである……というかたちでした。前者がアカネを利用し、後者が彼女を救ったわけです。

 「神様」というワードがたびたび登場し、アカネ本人も自分をこの世界の神様だと自称しますが、べつに彼女が本当に神なわけではありません。あの世界に限定すればそりゃ神様なんですが、たびたび描かれる彼女の心的な不安定さを見るに、いわゆる〈神〉のビジョンを投げかけるにふさわしいスクリーンではないと言えるでしょう。破壊も創造もおてのもの……とはいえ、彼女こそがあの世界を必要としていたわけですから

 「じゃあ全部妄想の話なのかよ」と言われれば、まぁそうですという話になりそうなんですが、妄想だろうとフィクションだろうとあらゆる物語は全部本当に起きた物語なので大丈夫です

 

 

一番エモいのはアンチくんなので……

 本作はエンディングからして、アカネと六花の友情・百合的リレーションシップに重きを置いていることがわかります。それはそれでとても素晴らしいのですが、私が本作において何とも推したいキャラクターと関係はアンチくん、そして新条アカネと彼の関係です。アンチくんがいなければこのアニメを見続けることはなかった。

 アンチくんは新条アカネに生み出された怪獣少年です。グリッドマンを倒すことを心に刻まれ生まれた彼は、どこまでグリッドマンを倒すために生き続けるわけですが、失敗するたびにアカネに酷い仕打ちをうけます。それでも彼は健気に、グリッドマンを倒すための活動を続けます作中でも言及されますが、彼はアカネが生み出した他の怪獣とは異なり、心を持つ存在です。善悪の感覚はないようですが、喜怒哀楽はあります。顔には出ないかわいいヤツです。

 アレクシスに片目を奪われるまで、彼は敗北のたびに新条邸の門に向かいアカネに叱責(というか暴行)されるわけですが、なぜいちいちそんなことをするのか。それは、アンチくんにとって唯一の肯定的なつながりはアカネとの関係だけだからです。もっといえば、アカネは彼のお母さんだからです。失敗したって、子供はお母さんのところに戻ります。怒られたって仕方ないし、怒られることこそが、子供の求めるところでもあります。

 彼には、グリッドマンを倒すという欲望ともう一つ、新条アカネに承認されたいという切実な思いがあります。前者がアカネの願いでもあることから、それを叶えることで後者の思いを満たすことができるわけです。

 しかし数々の怪獣が打ち倒され、そして夢の世界においても裕太・内海・六花に否定されたアカネ*1は自分とこの世界のあり方に疑問を抱き始めます。その不安定な感情に寄り添うようにアンチくんが現れますが、アカネは彼に対し、「どこでも好きなとこいきなよ」と突き放してしまいます*2

 アンチくんは、母親のゆらぎに影響され自分の存在について疑問を覚えます。グリッドマンは敵であるはずの自分を殺そうとはしない。とくにサムライ・キャリバーはどこか自分を認めているようなふしがある。これまでの自分と、世界の反応のしかたの食い違いが彼を思考させました。そして彼は、「与えられたいのちの意味」を探すという結論に至ります。そしてグリッドナイトとして覚醒し、グリッドマンを助ける立場につきます。「グリッドマンを倒すのは俺だ。他の奴に倒されるな」的なややずれたロジックを持つわけですが、これは、建前的なものではないだろうか、と私は考えます。

 苦しむアカネの姿を見て、彼が見つけた本当の「いのちの意味」とは、アカネを救済することだったのではないでしょうか。怪獣を世界に生み出し続け歪んだ悦楽に浸ることを許すのではなく、苦悶している彼女をグリッドマンたちと共に助け出すことが自分の生命の意味だと考えたわけです。

 そして最終話、怪獣と化したアカネを助け出した際の、アンチくんと彼女の会話は本作のベスト・エモ・ポイントとして掲げあげられます。

―なんできみなんかに。ほんとにきみは、失敗作だね。

―ああ。俺はお前がつくった失敗作だ。

「SSSS.GRIDMAN」最終話より

 アンチくんの言葉のあと、アカネの微笑みが映し出され、彼女が彼を認めたことが示されます。ただこの直後、アンチくんはアレクシスにぶっ刺されて瀕死に追い込まれるのですが。

 さてエピローグでは、ぶっ刺された腹に雑な治療痕のあるアンチくんの姿が見られます。怪獣少女に助けられた彼は、「恩を返す」というキャリバー由来の信条をもって少女に応答します。母のいなくなった世界で、彼は心をもって自分のやり方で生きていくことができるという姿が示されています。巣立ちですね。エモい

 

   このアンチくんの話を書きたいがための記事なので、この記事はここで終わりなんですがSSSS本編は他にも内海の部外者心理についてや本道であるアカネ‐六花の関係、ほかにもグリッドマン‐裕太の主体性の問題、原作ネタについての考察など様々なエモ・ポイントが存在します。みんなも自分の最高のエモ・ポイントを探してみよう!

 

最後に

    本作は今期において、かなりの好評価を受けている作品であると思います。そして私は、あるいは後年、この「SSSS.GRIDMAN」は再び評価されるのではないかという気がしています。

    本作は日常と非日常の感覚を敏感に扱ったものでもあり、登場人物の描写に優れています(とくに裕太以外の高校生たちのセリフにかなりリアルな語彙選択があるよう思われます)。もしかするとこの作品は、これからのアニメ(オタク-サブカル文化圏)に大きな影響を与えていくものなのかもしれません。

*1:本編9話参照

*2:本編10話参照